身を隠すため吉野へ
二人が見た風景と、奥飛鳥の魅力

大海人皇子(後の天武天皇)は、兄の天智天皇が皇位を譲る話をした時に「これは策略で自分を試している」と推察し、謀反といわれないよう出家し隠棲。この吉野へ逃げるように向かいます。その時、多妻ながら唯一同行した妻の鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)と「天皇が国家の中心となり、民が楽しく暮らせる世の中」を語り合い、夫婦の絆がより深まったといいます。明日香村での過ごし方の一つは自然を堪能すること。かつて大海人皇子(後の天武天皇)と鸕野讃良皇女(後の持統天皇)もたどった風景を楽しんでみませんか。
隠棲先の吉野へ向かった
芋ヶ峠


明日香村側にある芋ヶ峠の解説板には歌が紹介されています。
み吉野の 耳我(みみが)の嶺(みね)に
時なくぞ 雪はふりける
間(ま)無くぞ 雨はふりける
その雪の 時なきがごと
その雨の 間なきがごと
隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を
吉野の耳我の山には 時知れず雪が降るという 絶え間なく雨が降るという その雪や雨の絶え間ないように 道を曲がるたびに 物思いを重ねながらその山道を辿ってきたことだよ
最古の和歌集『万葉集』に編纂されている天武天皇の歌。数首ある中で吉野を歌う和歌が多いといいます。

奈良県吉野郡吉野町
二人が国づくりの夢を語った
「宮滝遺跡〈吉野町〉」


穏やかな気持ちになる
奥飛鳥の稲淵地区

季節の風景と習慣が新鮮

稲刈り後の棚田
石舞台古墳から奥へ進んだところにあり、棚田が美しい場所でも知られています。中世(平安~室町時代)に開墾され、日本の棚田百選にも選ばれ、300枚あまりの水田と畑が広がり、明日香村の美しい歴史的景観の一部として、農村の原風景を残しています。

綱掛神事(男綱)
神を祭る神聖な「神奈備(かんなび)の郷(さと)」の稲渕地区。子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫などこの道と川を通って侵入するものを押し止め、住民を守る綱掛けの神事でも知られています。集落入口となる飛鳥川の橋付近で、川の上に陽物をかたどった「男綱」を掛け渡し、飛鳥坐神社の神職が執り行います。
万葉歌に多く詠まれた「飛鳥川」
飛鳥川の飛び石


心に染みわたる美しい景観
細川の棚田

眺めるほどに時間を忘れる棚田風景

おおすめは新緑の季節、田んぼに水が入る田植えの時期

時期により夕日の色も変わるので季節を変えて訪れるのも
